馬の背に揺られながら、丘陵の裾の寺でらを見た。
法隆寺、夢殿、中宮寺、法輪寺、発起寺の堂塔が清澄な空気の中で日本の静かな陽を浴びている。
奈良の都へ入るまでに寺でらの甍はあちこちの森陰に見られた。 井上靖著「天平の甍」より
社寺建築、数奇屋建築という二つの流れは、日本人の宗教観、信仰心、価値観と共に深く関わってきたと思います。
人が手を合わせて拝む対象が本尊であり、それを安置する建物が御堂ですからそういった建築に携われる私たち職人は常に篤い信仰心に支えられている事を肝に銘じ、日々努力研鑽する事が己の技能向上につながり、財産になろうかと考えます。
また、数奇屋建築においては禅宗と深いつながりがあり、威厳、権威、華やかさといったものを削ぎ落とした侘び寂びの文化は今の生活様式が忘れかけている、謙虚さ、畏敬の念、思いやり、または
行儀作法、立ち居振る舞い、といった日本の美意識に表れており現代でも茶道、華道といった形で、受け継がれています。
当時の建築物に使われている材料といえば木、竹、粘土、漆喰、和紙等であり、全て自然から生まれて自然に還る素材です。
今では国宝として名高い茶室の床の間の壁に剥き出しの藁すさを見るとき、その時代の職人の心意気に想いを馳せてしまいます。