文春文庫
同じく、山本一力さんの自伝的エッセイ集です。
高知での幼少時代から東京に引っ越してから新聞販売店に住み込んでの学生生活は多くの場面で共感できました。
私も、中学、高校の数年間、自転車で新聞配達した経験があり、その時の思い出が甦りました。
昭和50年代前半の話ですが、当時、70軒ほどの家を自転車で配達するわけですが、冬場、5時すぎに起きて、隣町まで新聞を取りに行き、暗いうちから配り出すわけですが、田舎の70軒の範囲は広く、70部の新聞の重量と坂道の自転車はかなりな重労働でした。
それも、同じ新聞ばかりではなく、長崎新聞に、朝日、読売があり寝ぼけていると間違い、次の日怒られます。
配る最後の方の家になると日も昇って、早起きのお爺さんが不機嫌な顔で家の前で待ち構えています。
雨の日は、今と違って、手作業でナイロン袋に入れてから出かけていました。
高校に入ると、原付の免許を取り、家のカブにコンテナを積んで配り始め、だいぶ楽になりましたが。
当時の、お金で2万円位になったと思いますが、ガソリン代を引いた残りがこずかいとバイク資金です。
あの時、お金を稼ぐということの厳しさを思い知りました。
後半の、母親の他界と、あかね空を書いたいきさつ、事業の失敗、再起して家族でひとつになり生きていく様は想像を絶するものでした。
今年のお盆も過ぎ、1週間もすると母の4回目の命日です。
母が元気な頃、家の畑で獲れた野菜をリヤカーで行商に行っていました。
今頃の暑い夏休みの日、朝から姉と後から押して手伝い、昼前に何十円か小使いをもらい、途中でアイスを買い、来た道を二人で帰ったことを思い出します。
あの時のリヤカーを引く母の背中が教えてくれたことをつくずくありがたく思い出したお盆の1冊でした。