『 男は中洲という街で女は中洲と意地を張る 』 by青江三奈
昔むかし、その昔、25年前の大昔、一人の田舎者の青年が中洲という不夜城に初めて足を踏み入れました。
と書くと放送禁止の方向に話が行きそうですが、そっちには行きません。と言うか行った事がありません。本当です、、、。
今はありませんが、那珂川沿いに城山観光ホテルが入るビルがあり、その5階に「キャッツ」と言うディスコがありました。そこのカードを未だに捨てずに持っていたので、エアポートの続編を思い出しながら書こうと思います。
当時、勤めていた屋根工事の会社の福岡営業所が開設したのと同時に長崎から福岡に転勤になりました。
福岡市の隣に春日市春日原という所があります。その春日原に会社の寮がありました。寮といっても木造アパートの上下2世帯分を借りているだけなんですが。
まだ福岡ドームも無く、たまに平和台球場まで巨人戦のナイターを職人さんと西鉄に乗って見に行ったりしていました。原監督が現役の時代です。
週末、他の職人さんは長崎に帰ってしまうので、土曜の夜から月曜の朝までは一人でした。
来た当初は土地勘が無いので、もっぱら電車で天神まで行ったりしていましたが、だんだん道も覚え出し、行動範囲が広がりました。
といっても、自分の車は無かったので会社のトラックを私用で乗り回していました。
いすゞエルフ低床2トン車、ボディーには、〇〇セメント工業株式会社、ナンバーは長崎ナンバー、三井タイル、アサノセメントその他スポンサーさんの広告、これで土曜の夜、職人さんが帰るのを見届けてから速攻で中洲方面にこのエルフで爆走していました。
今思うとあり得ないスタイルですが、当時は恥ずかしいという感覚が無かったんだと思います。
あの繁華街を堂々と長崎ナンバーのエルフで突っ走っていました。裏通りのチェーンが張って無い駐車場に滑り込ませ、中洲のネオンに向かって歩いて行ってました。
そのディスコ「キャッツ」ですが、地元のエアポートとは比べ物にならない程の豪華なホール、卓越したテクニックで回すDJ、客層の品の良いこと、良い事、すべてが洗練されていてかっこよく良く見えました。あのたくさんのお客さんの中でどこに、会社のエルフ2トンで来たお客さんがいるでしょうか?
この頃はバブル景気の始まった頃で、仕事も超多忙で忙しく、遊ぶ暇も無い位仕事していた感がありますが、今思うとあの頃が仕事も遊びも一番面白くて、楽しかった様に思います。
そんな夜も更けて、また春日原まで筑紫通りを爆走して帰っていくわけですが、それもしばらくしたら飽きてきて、だんだん行かなくなりました。めでたし、めでたし、、、。
※次号予告 次回はKBC九州朝日放送近くにあった「マハラジャ福岡」の巻です。(まだ行くんカイ!)