クレイジーケンバンドの曲に「葉山ツイスト」というのがありますが、またまた30年前にタイムスリップして思い出すのが下の変色しかかった写真の図です。
その歌詞にでてくる葉山のシーサイドハウス、あるいは横浜本牧埠頭にあたるのがここ、知る人ぞ知る(地元の人しか知りませんが)三会新港工業団地です。
向こうに写るダットサンが年季を感じさせます・・・。30年前のまだ空き地が多かったこの葉山のシーサイドで、島原工業高校建築科と島原農業高校農業科の同朋が、どうも東京でたけのこ族に対してローラー族というのが流行っているという事で、娯楽の無い地方のまた地方島原の夜、何を考えたか、でかいラジカセにさらの単1乾電池を押し込んでいざ出陣、大騒ぎしても通報されない場所はという事で決まり、毎週土曜日に集い、ラジカセを中心に週末の「ツイスト大会」を開催したわけです。
しかし、思い立つのも早ければ、飽きるのも早く、しばらくしたら自然消滅しました、、、。
傍から見たら、夏なら盆踊りの稽古にしか見えなかったと思います。
剣さんといえば高2の時に島原文化会館大ホールで見たのが最初でしたが、上のジャケット写真でいうと左上の「ニューヨークシティ N・Y」の次のアルバム位からボーカルで加入しています。ちなみにこの頃のプロデュースは山下達郎さんです。
左上が写ってませんが、クールスRCの剣さん二十歳の時のライブ半券です。
右は熊本にあった遊園地ひのくにランドの矢沢さん、右が同じく始めて見た長崎国際体育館「ワンナイトショー」、下が西部警察時代の舘ヒロシさんのコンサート、革ジャンの衣装がメチャクチャかっこよかったです。今は昔ほどではありませんが、矢沢さんのライブは右も左も「そっくりサン」状態、ポマードとタバコの煙でむせ返りそうなその中に坊主頭で混じるのはかなり勇気が要りました・・・。
今もたまに見かけますが、あの格好で紙バッグにバスタオルを入れて西鉄電車に乗る勇気はありません。
書いていて思い出しましたが、高2の時、当時新聞配達のバイトで買ったヤマハのミニトレ「GT50」という原付がありましたが、学校をサボって長崎まで「ラン&ラン」という矢沢さんの映画を観に行った事もあります。GTつながりでもう一つ、剣さんの自叙伝「マイ・スタンダード」を読んでいたら、なんと、剣さんも一時乗っていたとの事、また「brand new honda」という曲がありますが剣さんはアコードワゴンを新車で買ったそうですが、筆者もオデッセイを5年前に買い、今は剣さんがZ1で、筆者がZ2、ここでも目に見えない縁を感じました。
と勝手に無理やりリンクさせていますが、あの頃からもう30年になります。
今では45歳の3人の父親になり、腹も出だしてきましたが、時に音楽に励まされ、ライブで元気をもらい、今まできましたが、あの日の「葉山ツイスト」の夜は私のロックの履歴書の最初の欄に入る重要な経験です。
そういえば、昨日、「オヤジバンドバトル」がNHKであってましたが、ギターをなんとかマスターしたらジェーク玉袋先生とキャロルのコピーバンドで出られたらイイナ~みたいな事を空想しながら見ていました・・・。
歌壇
「妻や子供が眠った後で 古いアルバムを引っ張り出した いなせなアロハにリーゼント あー今頃みんなどうしているかな? また会いたいね それではお休みまた明日 」
クレイジーケンバンド「木彫りの龍」より