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週明けから、瓦剥ぎに入った2階部分が仕上がりました。

野地板からの改修のため、養生に手間がかかりましたが、これだけは確実にやっておかないと大変なことになります。(工事中、二度大雨に遭いました。)

来週から、1階部分にかかります。

 

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上の写真は、2階に葺いてあった古瓦ですがこの様に角部分が粉状になり、風化しています。

(海のそばではないので塩害ではありません)。

この部分から雨が進入し、雨漏りしていました。

 

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 (古瓦裏面)

 

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今回、新しく葺く瓦は、三州産天木製粘土瓦53A防災瓦です。

弊店オススメランキング1位です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20080319fm.jpg先週の金曜日、久々にライブに行ってきました。

東洋一のサウンドマシーンこと、クレイジーケンバンド率いる横山剣さんであります。イイーネッ。

今を遡ること27年前、当時高2の夏だったと思いますが地元の高校に通っていた頃、デビュー当時の横山剣さんを見た事があります。

クールスRCというロックバンドのコンサートの途中でメンバーに紹介されてステージに現れたのが、今を時めくマルチ音楽プレイヤー横山剣様であります。

期待どうりの抱腹絶倒のライブでした。アンコールの『千の風になって』は最高でした。

(続きは晴葺雨読で。)

 

20080319aka.jpg     ㈱文芸春秋

 

最近、映画にもなりましたが山本一力さんのあかね空という本です。

京都の豆腐職人が十余年の奉公を終えて、江戸に出て行き、深川に自分の店を持ち、桶屋の娘を嫁にもらい、京都と江戸の食文化の違いに悪戦苦闘しながら二人で店を切盛りして商売を繁盛させていく物語です。

深川といえば、昭和50年頃、北の国からの倉本聡さんのドラマで「前略おふくろ様」というドラマがありました。

山形から上京して、深川の料亭「分田上」に板前見習いとして働く青年(萩原健一)が主人公のドラマでしたが、そのときの板前姿のショーケンが格好よく、板前頭の秀さん(梅宮辰夫)、恋人のかすみちゃん(坂口良子)、同郷の海ちゃん(桃井かおり)、鳶頭の半妻(室田日出男)等、料亭を舞台にした下町の何とも言えない良く出来たドラマでした。

毎回、故郷の山形に残した母親(田中絹代)に手紙を書くところから始まるんですが、あの時の下駄履きに首にマフラーを巻いたサブちゃんを見て、これもまた名作の「傷だらけの天使」とは違った職人のカッコよさがありました。

だいぶ後になりますがショーケンが豆腐屋の大将を演じたドラマもあります。(豆腐屋直次郎の裏の顔)。

いつの時代も、職人の世界は過酷で、孤独で、寡黙ですが、どんな状況においても、いつも格好よく前向きでありたいと思う1冊です。

 

 

 

 

 

20080316ira.jpg 中央公論社発行(昭和52年版)

 

また、明日から福岡まで1ヶ月の旅仕事です。

瓦屋に、雨はつきものですが泊り込み先での雨には困ります。ギャンブル運は全く無いのでパチンコはしません。そんな時、良く行くのが大手古本チェーン何とかオフです。まさに晴耕雨読です。

上の本もたしか福岡の古本屋で見つけた1冊です。100円です。安いです。1日はまります。

鹿児島県の枕崎の近くに、坊津という町があります。

去年の11月、鹿児島に行った帰りに、はじめて立ち寄りました。

昔、映画「007は二度死ぬ」のロケ地になった所です。(たしかボンドガールが浜美枝さんでボンドカーがトヨタ2000GTだったような)。

そのまた大昔、ここから遣唐使船が遠い異国の地をめざして出発した最後の寄港地だったそうです。

「天平の甍」は中国の高僧鑑真和上が遣唐使船で何度も遭難、失敗、最後には失明しながら日本に渡って来て奈良に唐招提寺を創建し、仏教をひろめた偉いお坊さんの物語ですが、南方の島を経由して最初に上陸したのがこの坊津だそうです。(近くの資料館で勉強しました)。

東シナ海に落ちていく夕日を見て帰りたかったのですが時間が無く、帰路につきましたが、また、行ってみたいと思う場所です。

雨の夜、旅先のアパートで飲む酒は薩摩白波です。お湯割です。ロクヨンです。本の表紙を見ながら思い出す旅の思い出でした。

 

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今、私の住んでいる所は、長崎県の南西部、島原半島の中央部にある雲仙岳の麓にある島原市です。

16年程前に噴火し、新聞、テレビで報道されて御存知の方も多いと思います。

当時は、福岡に住んでおり、噴火活動の状況はあまり記憶にありませんがたまに帰ったときに土石流で埋まった民家や田畑を見たとき唖然とした事を思い出します。

今は活動も納まり、少しずつ木や植物も自生して落ち着いていますが山頂の高さが100m以上も高くなったそうです。

この土地に戻ってきて12年になります。今も1年の半分以上が旅の空ですがいつ帰ってきても癒される良いところです。

日経新聞の文化面に「私の履歴書」というコラムがありますが先日、何気なく読んでいて、なるほどと思える言葉がありました。

その作者は、ある大手住宅建材メーカーの創業者の方で戦後、建具の卸売りから身を興したとの事で、事業を始めるにあたり、伯父からこのタイトルの言葉を教わったそうです。

その意味というのが、自分は布団の中で寝ていながら人を起こし、あれこれ指図するなという意味の言葉らしいのですが、即ち、自分から率先して模範を示しなさいという意味と理解しました。

その言葉を自分にあてはめてみたとき思い当たる事も無くはありません。

話は替わりますが、私の店の現場では朝8時前必着です。当然のことですが、冬場はその当たり前のことがなかなか徹底できません。

若手は特に、寝坊、夜遊び、飲酒、聞くと寝るのは深夜の12時、1時だそうです。

仕事柄、遠方への仕事の時は1週間合宿状態です。月曜は4時起き、4時半集合、3時間移動、7時半現場着というのが通常のパターンです。

このいわば早起きという苦行で年間数人のハローワークからの若者の大半が半年を待たずに自ら、去っていきます。かといって若手には合わせません。

職人は朝が勝負です。3人1班で30分遅れで1時間半、それを30日続けたら5人工以上の無駄です。

また話は替わって、NHKでお馴染み脳科学者の茂木健一郎氏の話ですが、朝起きると、いきなり、パソコンの電源を入れ、メールチェックし、猛スピードでブログを書き、仕事モードに入るそうです。

私の場合、夜の8時以降はアルコールが脳内の細胞を麻痺させ、夜更かししようにも睡魔が襲い、起きてられない状態になるわけで、おかげで毎朝、仕事モード全開ですョ(笑)。

 

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先日、ホームページ用の写真を整理していたら懐かしい写真が出てきました。

私(右端)の隣に写っているのが香川の甍屋、若武者こと好川伸二君です。ホームページ作成の時には、たいへん参考にさせていただきました。ありがとうございました。

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     都府楼はわずかに瓦の色を看 観世音寺はただ鐘声を聴く

                                         菅原道真

 

以前住んでいた太宰府の家からすぐの所に観世音寺がありました。近くには政庁跡や戒壇院などがあり、休みの日や夕方、散歩の途中によく立ち寄っていました。

今思えば、あの時何気なく見ていた青黒く色褪せた御堂の風景が長い旅の始まりでした。

あれから20年程経ちますが、何もわからないままこの道に入り、今の仕事を続けてこれたのは多くの周りの人達の協力と叱咤激励無しには考えられず、只々感謝するばかりです。

未だもって自分の納得いく仕事は出来ず、悪戦苦闘、試行錯誤の毎日です。40半ばで道半ばでありますが、今の自分の方向性を決定付けたと思います京都の師匠の言葉を胸に日々、心して屋根に上がる毎日です。

馬の背に揺られながら、丘陵の裾の寺でらを見た。

法隆寺、夢殿、中宮寺、法輪寺、発起寺の堂塔が清澄な空気の中で日本の静かな陽を浴びている。

奈良の都へ入るまでに寺でらの甍はあちこちの森陰に見られた。     井上靖著「天平の甍」より

 

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社寺建築、数奇屋建築という二つの流れは、日本人の宗教観、信仰心、価値観と共に深く関わってきたと思います。

人が手を合わせて拝む対象が本尊であり、それを安置する建物が御堂ですからそういった建築に携われる私たち職人は常に篤い信仰心に支えられている事を肝に銘じ、日々努力研鑽する事が己の技能向上につながり、財産になろうかと考えます。

また、数奇屋建築においては禅宗と深いつながりがあり、威厳、権威、華やかさといったものを削ぎ落とした侘び寂びの文化は今の生活様式が忘れかけている、謙虚さ、畏敬の念、思いやり、または

行儀作法、立ち居振る舞い、といった日本の美意識に表れており現代でも茶道、華道といった形で、受け継がれています。

当時の建築物に使われている材料といえば木、竹、粘土、漆喰、和紙等であり、全て自然から生まれて自然に還る素材です。

今では国宝として名高い茶室の床の間の壁に剥き出しの藁すさを見るとき、その時代の職人の心意気に想いを馳せてしまいます。

0310gojuu.jpg.jpg日本に仏教が伝わって来た頃、僧や寺工、画工、瓦工と共に大陸から渡来した仏教建築、我が国最初の寺院、飛鳥寺が建てられました。現代のかわらのルーツがそこにあります。


また、時代の様相と共に現れる城郭建築、茶の湯と共に江戸初期に隆盛を極めたといわれる数奇屋建築、いつの時代の建築においても最も耐久性を求められたのが屋根瓦であります。

そして今日、日本の建築文化の中で屋根材としてだけでなく自然素材である粘土が持つ質感、燻し銀の真新しい輝き、或いは、長い年月を経て黒光りした敷瓦の風合い、お寺の苔生して湿った感じの塀瓦等は、街の佇まい、情緒を考える上で景観材としても充分対応できるものと思います。

 

「技」

「甍は魂の通う路 心して葺くべし」

屋根に携わるものにとってこの言葉ほど意義深い言葉はありません。

昨今の建築業界において物作りの現場に身を置く職人達。コストとスピードが優先される現代建築の流れの中で手仕事によって生まれる物は、機械によって大量生産される物に比べ、効率の良くない非合理的なものと捉えられがちです。

しかし今、社会は大量消費による環境問題、新建材による有害性、産地偽装が表面化し、企業の倫理観、または消費者個人の価値観、ライフスタイルが問われようとしています。

住宅建築の中の最も耐久性を求められる分野である屋根においても、ようやく日本の古いものが見直され、その土地の気候風土に合った、町並み、家並みに配慮した設計、施工法が増えています。

そこには妥協を嫌う職人の技と心意気が活きています。

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30年間の耐用年数が過ぎ、葺き替える事になった現場の屋根です。80坪の寄せ棟を三州産天木製の素熨斗2段に素丸で納める予定です。

自宅塀

 

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屋根に使う瓦を塀の壁に持ってきていぶし瓦の質感をまじかに見れます。普賢岳を背に町並みの景観にも良く合います。