
露盤を据えた状態です。
かなりな重量のため、苦労して組み立てました。
4個は銅線緊結していますが、内部が空洞のため、台風や地震のズレを考えた結果、
露盤の内部にセメントを混ぜた漆喰を流し込み、固定しました。

漆喰の乾燥を考えながら、ゆっくり積み上がります。

これで完了です。
この状態で露盤様に100年位はじっと鎮座していただかなくてはなりません。
下で仮組みした時は、大きすぎる感じでした(一辺が三尺(90センチ)あります)が、据えてみると丁度良い大きさに納まりました。
 
   
    

露盤を据えた状態です。
かなりな重量のため、苦労して組み立てました。
4個は銅線緊結していますが、内部が空洞のため、台風や地震のズレを考えた結果、
露盤の内部にセメントを混ぜた漆喰を流し込み、固定しました。

漆喰の乾燥を考えながら、ゆっくり積み上がります。

これで完了です。
この状態で露盤様に100年位はじっと鎮座していただかなくてはなりません。
下で仮組みした時は、大きすぎる感じでした(一辺が三尺(90センチ)あります)が、据えてみると丁度良い大きさに納まりました。

先日、横浜アリーナであった30人31脚全国大会に、横浜にいる甥っ子が応援に来ていました。21歳になりますが、地元の工業高校を卒業して日産自動車に就職して3年になります。
応援しながらいろんな事を話しました。今、工場でどういった仕事をしているのかと訊いたら、なんとあのGTRのエンジンを担当しているとの事。
40代後半から上のオヤジ世代には、箱スカ、ケンメリのあのGT-Rデスヨ、それを聞いて少し羨ましくなりました。
今の若い人はあまり、車やバイクには興味が無いらしく、免許すら持っていないのがめずらしくない世代だとか。私たちが普通免許を取得した25年以上前は、学校に内緒で試験場に行く位、車やバイクには興味があったもんですが?。(今でもナナハンに乗っている位ですから)。
工場は交替制のため、あの日も日曜日でしたが、夜から仕事と言っていました。
私も二十歳位から12年間、福岡で暮らしましたが、一人暮らしして実感するのは、親のありがたさです。こんな大都会に一人、就職で上京して来て暮らすのは大変な事と思います。
しかし、それを乗り越えた先にはきっと無限の可能性が待っているとオジサンは確信していますヨ。
落ち込んだり、へこんだりしたら、あの日の応援団みたいに自分にエールを送れば元気が出るでしょう。
『三会小チャチャチャ!三会小チャチャチャ!!』 ガンバレ甥っ子~~!!。
昨日の疲れと、焦燥感をひきずったまま、2日目スタート。
回りの殺気だった気迫に押され、それに飲み込まれまいと必死で応戦、終盤の仕上げの頃には、指が痙攣し出して半分パニック(汗)、もう周りの視線も話し声も耳に入らず、わずかな気力と少し残った意地で制限時間目一杯使って試合終了、そのまま放心状態・・・。
長崎から応援に来ていた組合御一行様も、いつの間にか消えていました。
ナレーション
(田口トモロヌ風に「そして誰もいなくなった・・・・・。」)
後日談で飛行機の時間に間に合わなかったとの事でしたが、思うに気を利かして帰ってくれたんだと思います。(違う理由だったりして(汗))。
エンディングのテーマソングは中島みゆきの「♪ヘッドライト テールライト♪」で御願いします!。

結果は、20名中4位入賞はしましたが体も心もボロボロになりました。
東京四谷の長崎県会館に戻り、自分の甘さと納得いかない結果に心で涙し、酔えない酒で自分をごまかし、反省した東京の3月の夜でした。
翌日、今日の様に、夜の羽田を後に長崎空港まで飛び、島鉄の三会の無人駅で下り、不本意な賞状を土産に立ち尽くす父を家内と一緒に迎えに来たのはまだ4歳だった長女でした。
(小さい頃はたまにしか、家に帰らないため、よく泣かれましたが。)
その長女の学年のチームが違う形でその夢を見事成し遂げた訳です。
日本一になるという事の意味を身をもって体験した父には感慨深いものがあります。
横浜アリーナでの子供たちの小さな背中が一試合ごとに大きくなっていくのがわかりました。
今では、子供に教えられる事が多々あります。今の自分の体力と技能があの頃より向上しているのであれば、もう1回幕張で挑戦してみたいと思いますが、それにはまず先に、酒を絶ち、筋トレのウェイトを増やし、欲深い煩悩を振り払う必要があります(まだ凝りとらんな~)。
そんな甘い事を考えていたら島鉄バスがロンナー前に到着しました。(やっぱ、ヤメトコ!)。
『お疲れサッシタ~!!』
完
平成13年3月2日、幕張メッセ国際展示場。
オヤジのプロジェクトⅩ2001、テーマは『輝け!見栄っ子、メタ坊キッズ!!』(今命名)。
(BGMは中島みゆきの♪「地上の星」♪)。
がしか~し、そう甘く事が進む筈がありません。
前の日、先に着いた道具を開け確認、架台の回りにセット、全国から集まった選手の様子を見ながらの開会式、2日間の七転八倒の大会が始まりました(汗)。
 
 
立ち上がりリハーサルどうりのスムーズな試合展開、難なく中盤までこぎつけ、棟に進むかにみえたその頃、何かオカシイ?、ナニが?、回りが。
いつの間にか増えたギャラリーが一人の手元に注目しているワケです(汗汗)。それでもまだ、余裕カマして呑気に鏨を入れて流れを保とうと必死です。
がしか~し、そんな状況も長くは続かず、回りの選手のスピードに少しずつペースを乱され、一日目の終了間際には時間配分にかなりな遅れが出てきました。
そのまま1日目終了、夜、ホテルに戻って寝ようにも寝れず、寝不足のまま、2日目スタート!。
次号に続く。

2001年も明け、対馬の厳原の現場から帰って間もない頃、そろそろ練習しようと思い、練習用の架台を近くの大工さんから作ってもらい、使い慣れない練習用の瓦を買い、郵便で来た競技課題に少し不安になりながらも、呑気に練習しだしたわけです。
課題自体は、例年に比べわりと簡単な屋根に見え、作業時間も練習に比例して短くなっていき、何の心配も無い様に感じられました。
がしか~し、それが大きな失敗の始まりでした。
練習も最終段階に入り、時間配分と仕上がり、道具のチェックと準備はバッチリ!、長崎県庁でグランプリに出場する他の職種の選手と一緒に壮行会を開いてもらい、道具を宅急便で送り、意気揚々と長崎空港から羽田目指して飛んだワケであります。(気分は村田英雄の「王将」♪明日は東京へ出て行くからは~・・・・・♪)。
 幕張メッセ会場
幕張メッセ会場
次号に続く。
(前号までのあらすじ)
30人31脚全国大会の帰途、今度はいつ東京に来れるかなと思いながら、前回上京した時の事をふと思い出した父であった。
 今はメタボ気味な父もその昔、日本一を目指してこの羽田に降りた日がありました。
                                   今はメタボ気味な父もその昔、日本一を目指してこの羽田に降りた日がありました。
技能グランプリという全国大会をご存知でしょうか?。技術系の方なら知っておられると思いますが、中央職業能力開発協会と全国技能士会主催の全国競技大会です。
軽い気持ちで上げた右手に、やがて大変な試練が待ち受けていようとは予想できませんでした。
私の店が所属している長崎県瓦工業組合の要請で今まで出場した事が無かった大会に組合で全面バックアップする体制で支援するとの事、本人もわずかな自信と自惚れで二つ返事、世の中の広さを知らないという事は、すなわち、恐いもの知らずなワケであります。(汗)
次号に続く。




この現場も最終段階に入ってきました。
屋根の頂上部分に据える露盤を内部で支える支柱です。

最下部の露盤の胴の部分です。
4個を1つに組み合わせて据えます。上の写真の横材に載せる格好に納まる予定です。

こうなった状態に→

覆鉢という鏡餅を載せて→

擦というベアリングみたいなのを載せて→

最後に玉ねぎを載せて完成です。
今までで、最大級の大きさです。
総重量約250kg、これに屋根の頂上で約100年くらい動かずに、じっと座っていただかなくてはならないわけですが、その固定方法を考え中です。(?)

形が似てますが、決してアブナイ家紋ではありません。
 
 
さて問題です。
問1 『30人31脚2008全国大会』優勝校は?(ヒントナシ)
喉元まで出そうになってますが、テレビ放映が12月6日にあるみたいでそれまで守秘義務がありますので口が裂けても言えません。
12月15日、大村空出発、羽田着、横浜泊。
12月16日(雨)、8時30分横浜アリーナ。
島原の復興アリーナの数倍ありそうなデカイ会場でした。
ここがよく永チャンがライブを演る所かと、田舎者の父親は一人、違う感慨に耽る間に開会式、10時競技開始、全国27都道府県から勝ち上がって来た小学5,6年生で結成したチームの日本一をめざした「ガチンコ勝負」の始まりデス!。
ゲストに、テニスの松岡修造、大沢茜、etc・・・。
会場は、カメラ、ビデオ撮影禁止のためライブ感に欠けますが、子供たちの一生懸命な姿に応援席の全国の父兄もテンションも最高潮に大盛り上がりの大会になりました。
これ以上書くと、最後までいってしまいそうなのでこの辺で止めときます。後はテレビ放映で御覧下さい。
三会小学校6年生1、2組の皆さんへ
30人31脚全国大会お疲れさんでした。素晴らしい大会になりましたネ!。
君たちの勝負に勝ちに行く一生懸命な姿に、感動し、心打たれ、誇りに感じました。
将来、社会に出て行った時、昨日、横浜で全国の同級生と戦った経験が大きな力になって自分を応援してくれるものと確信しています。
今の時間、飛行機の中でしょうか?
ジェット機の窓から富士山は見えますか?・・・。 三会小6年生の 「絆」 はみんなの後輩に受け継がれていくと思います。
お父さんやお母さんは最後まで応援できませんでしたがみんなの堂々とした姿に今日からの仕事や家事に大きなパワーをもらいました。
最後に、担任の林田先生、鬼塚先生大変お疲れ様でした。
暑い時期からの練習や周囲からの期待、気苦労は私には想像すら出来ません。
何の力にもなれませんでしたが、ただありがとうございましたとだけ言わさせていただきます。
本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました!!。
朝 有明の潮みちて 健児のまなこ輝けり
自主精励の旗のもと 足並みそろえて いざゆかん
三会小学校 光あれ
夕べ普賢の雲仰ぎ 高き理想望みつつ
学びの友よ手をとりて 平和と文化の国たてん
三会小学校 光あれ
『三 会 小 学 校 光 あ れ』
晴れ姿十五枚はぜ



「大空と大地の中で」
♪ 果てしない大空と広い大地のその中で
いつの日か幸せを自分の腕で掴むよう ♪
飲んだら、いつも歌う松山千春の歌です。
今日、ファミマでの出来事、チケットぴあの端末で昨日発売の12月11日の福岡サンパレスのコンサートのチケットを買おうと思い、操作したらナント、完売につき受け付け終了!(ナニ~、)(やっちまったな~)。時すでに遅しであります。トホホ・・・※最近、クールポコがマイブームです。
昨日発売だというのに・・・。思い直して2日後の長崎ブリックホールを検索すると、これもまた完売・・・。
いや~、フォーク、じゃなく、松山千春というミュージシャンを甘くみていました。(反省)
多分、その日の数時間で売り切れたんだと思います。
そうかと思うと、ヤフーのオークションでもうチケットが競売されています・・・。
今から30年ほど前、フォークソングがニューミュージックと呼ばれだした頃によく聴いていました。
初めて聴いたのは「長い夜」が先だったと思いますが、当時、「ザベストテン」というカウントダウン番組がありましたが、その中で長髪にサングラスの松山千春さんの歌を聴き、今も変わらず歌うその姿に心打たれます。
吉田拓郎、井上陽水、松任谷由美、アリス、矢沢永吉。
テレビに出ないのがひたすらカッコ良かった時代、久米さんと黒柳徹子さんも大変でしたネ。
音楽は、いくつになってもその当時の自分に戻してくれます。
今でも、YMOの「ライディーン」が流れると原宿の歩行者天国で流行った「竹の子族」を連想するのは私だけでしょうか?(多分)。
♪ 生きる事がつらいとか、苦しいだとか言う前に、野に育つ花ならば力の限り生きてやれ ♪
 
稚児棟に反りをつける為、こんなふうに鬼際に厚く熨斗瓦を積んで勢いを出します。
 
二ノ棟も、段数は同じですが若干位置を変更して積んで、5段目から上まで延長します。

こんな感じで積み重ねていきます。
宮大工さんの軒の反り具合が隅棟に反映されるということがここで解ってきますネ。


難読している日経新聞の夕刊に、時々載っている㈱力王の広告です。
この他に、米焼酎「白岳」や生活に密着した製品の広告が掲載され、記事以上に気になります。
地下足袋愛用者にとって感じるのは「晴れ姿」もそうですが明らかに他の足袋とは一線を画す履き心地と丈夫さがあります。
地下足袋のアディダスといったところでしょうか。ロングセラーになる理由がここにあります。
今では大工さんや左官さんも、あまり地下足袋を履かれませんが、屋根の上では、時には自分の命に関わる物なので、かかせません。
仕事においても、たくさんある業者さんの中で選んでもらうには、他には無いものを持つことが必要です。
足袋の広告に究極の「経済哲学」が読み取れますネ!。
 岩波新書
   岩波新書
テレビ、ラジオでお馴染みの永さんの本です。
職人さんの道具で、差し金という寸法を測る直角になった物差しがありますが、見習いの若者にとって最初の壁が尺貫法です。
今はだいぶセンチで教えるようになりましたが、私が弟子の頃は尺で寸法を教えられました。
大工さんで言えば、「あいうえお」じゃなくて「いろはにほへと」ですね。
弟子の頃、いつも言われた言葉に
「手ぶらで歩くな」
「目上の人の前でタバコを吸うな」
「道具を見たら仕事がわかる」
「掃除が出来ない職人は仕事が出来ない」
いろんな事をやかましく言われましたが、今思うと当たり前の事ですが、若いうちはその意味がなかなか理解できません。
これから寒くなると現場で焚き火しますが、朝早く来て、火を熾して親方衆の来るのを待つのは弟子の仕事です。
夕方、兄弟子の鏝をきれいに洗い、掃除、片付けして最後に自分の道具をしまいます。
今、こういう事をいうと若い人は嫌いますが、自分もそうだったように後で解ってきます。
前回の小嶺先生の本にもありますが、寝食を一緒にしないと身につかないことが職人の世界にもたくさんあります。
今の建設業界は職人にとっては不景気の真っ只中ですが、昔から教わった教訓を永さんにあらためて教わり、勇気をもらった本でした。
 
サッカーで有名な長崎の国見高校の名監督の本です。
30年前、私が学生の頃はすでに有名な方でした。
昭和61年の大会から、毎年全国大会に勝ち上がってくる為の戦力を維持する人心掌握術は、今の若者を育てる立場の人には大変勉強になります。
全国から、その監督を頼って多くの高校生が下宿しながらサッカーを教わり、今ではJリーグで活躍している選手もいます。
人に何かを教えるということは、教わる人以上に教える方も苦労し、悩み、成長させられます。
我が家の3人の子育てに手を焼く父親にエールを送る1冊でした。
 
今日は、昨夜からの雨で天気が悪く、子供と計画していた普賢岳登山を延期、島原文化会館で開催している北村西望展と「まぼろしの邪馬台国」を小6の娘として鑑賞してきました。
先に北村西望展を中ホールで見学、市内の小中学生の力作に感動してしまいました。
美術の分野では子供の方が感受性が豊かで、はるかに芸術の秋を実践しています。
その後、大ホールに移動、11時から映画上映、何で映画館じゃないのかと島原市民以外のかたは思われると思いますが、島原市内には現在映画館が無いのであります。
映画の内容は詳しく書くわけにはいきませんので省略しますが、前評判どうり、島原の良い所が描かれていて、とても良い映画でした。
固い感じのタイトルですが、さすが竹中直人さんです、笑いを取り入れることを忘れていません。
30年ほど昔、「お笑いスター誕生」という番組が土曜日の昼にありましたが、顔は笑って声は怒っているといったギャグだったと思いますが、今や、日本を代表する俳優になられました。
この秋、オススメの映画です。(島原の方は有明でも今週上映予定があるそうです。)
 
昨日、西有家町のみそ五郎まつりに行って来ました。
といっても一緒に開催される住宅フェアに瓦組合で出展するための手伝いです。
9時半に会場に到着、だんだんお客さんも増えてきて組合のブースに立ち止まって展示品を見に来られた方に、瓦の説明、リフォームの相談、台風対策など説明させていただきました。
他の組合も趣向を凝らした展示をしてあり、来年の企画に参考になりました。
一緒に来た我が家の子供も、ミニ畳やスノコ、本立て、杉板に写真をプリントしてくれるコーナー等で物つくりの体験をして楽しそうでした。
 
先日の新聞に、追加経済対策で総額2兆円の定額給付金の記事が載っていましたが、それよりも、わが店にとってその何倍も経済波及効果がある別の記事に目がとまりました。
なんと、高速料金がどこまで行っても千円以内という内容です。
現在、諫早から山口小郡インターまで7千円近くかかりますが、それが千円以内ということは往復で約12,000円の経費削減になります。
月に、5万円以上の経済波及効果が期待出来ます。零細建設業者には嬉しい限りです。
こうなると、今までの料金設定は何だったのかと考えさせられますが、民主党の全面無料化に対抗した案と思いますが、利用者にすれば、そんなことはどうでもいいわけで、1日も早く実施してもらいたいものです。(願)
後は、ガソリンの価格が100円ぐらいになってくれると言うことはないんですが。
そんな事を考えながらボ~と走っていたら100キロ以内のインターで下りることを忘れて、通勤割りが効かず、1500円損しました!(アーア)
 
山口の帰り、太宰府の借りている部屋から歩いて数分の距離にある、博物館に久しぶりに見学に行って来ました。
太宰府天満宮の境内からエスカレーターで入館できます。
 
反対側には、5年前に工事した文書館が建っています。
ここの庭では、毎年3月に曲水の宴という、平安時代の歌会が行われます。
 
エスカレーターを上って、トンネルを抜けたところに、デカ過ぎて→→→→→
 
入らない建物が出現、これが、九州国立博物館です。
 
ロビーに入ってこれまた、でかすぎる飾り山笠が展示してあります。
今日は、「国宝天神様 菅原道真の時代と天満宮の至宝」という特別展が展示してありました。
 
その特別展も見応えがありましたが、もうひとつ、太宰府を代表する、今日まで崇拝してやまない物が展示してあります。 いつも、必ずその前に立ち、拝む気持ちでじっくりと眺め、その怒りに満ちた表情に神々しい厳しさと、パワーを感じます。
1300年前の都府楼跡から出てきた鬼瓦ですが、この匠のブログのアイコンにもレプリカの鬼を使用しています。
実物を見た印象は、瓦というより石といった感じの、見るからに鬼の魂が宿っているような雰囲気が漂っています。
 
2時間近くかけて観た後は、天満宮に参拝してきました。
二礼、二拍手、一礼。5時過ぎてもかなりの方が、参拝していました。
これから後、2時間半移動です。
ここ2ヶ月、ぜんぜん泊まっていない部屋がそばにあるのにそうもいかず、太宰府を後にしました。
 
隅棟の足場設置完了。
足場を屋根の勾配に合わせて平行に架け、作業し易くします。
 
全面架けるのに1日かかりました。

屋根の下を案内しますとこんな感じです。(しばし、現場内「建物探訪」)
桁から3m以上出ています。今週左官さんが荒壁塗りに来ました。
 
昔の家は、竹を縄で編んで赤土を塗り、漆喰で仕上げていました。
自宅の倉庫も50年前の、こういった壁ですが、夏は涼しく、冬は暖かく、究極のエコな建材です。
(見えている板は、補強の貫板です。)
 
お寺の坂道に咲いた秋桜が今満開で、屋根をバックに1枚撮って来ました。
今日から11月、日が沈むのがいよいよ早くなってきましたよね~。